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どく鬼のこ

Author:どく鬼のこ
1984年大阪市住吉区生まれ。奈良県で自転車に乗って育つ。大学時代は自転車の部活に所属し、一人旅中に見た北海道・知床峠での羅臼岳の景色に圧巻され登山も挑戦開始。
横浜、大阪、福岡と転勤で過ごし、2013年4月からまた大阪へ。早く違う土地に行きたい・・・。

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【6/30】旧国鉄佐賀線ポタリング

国鉄佐賀線は、長崎本線佐賀駅を起点に大川・柳川を経由して鹿児島本線瀬高駅を結ぶ約24キロの鉄道路線で昭和62年に廃止となっている。
以前より気になっており、調べてみると遺構が残っている模様。
今日は朝から用事を済ませ、嫁も仕事だったので久しぶりに走ることにした。

梅雨の合間で雨が少々不安であったが、まあ何とかなるだろうとプラス思考。
西鉄大橋駅から急行に乗り、久留米市花畑駅で特急に乗換え西鉄柳川駅へ。

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水郷の町・柳川は筑後川の河口にあり水が豊富で、掘割が城下町を縦横に走り川下りを楽しむ風情のある場所。
輪行解除をして15時に出発。町中に川が走っておりそこらに船が。一度乗りたいなと思う。

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中心地から少し北に走ると、道路は川もないのに高架になる。
おかしいなと思い、高架から周りを見渡すと下に公園が。。「筑後柳河」駅跡発見。
駅は整地されきれいな公園になっていた。

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旧鉄道沿いに一番近いであろう道路を走り、筑後川の方面に向かう。
大川市に入った途端、流石は家具の町。そこら中に家具屋が。。。
日田の木材を筑後川の水運で運搬した河口が大川であるので家具で栄えたとのこと。鍋島藩が日田の木材を重宝していたので大川から運んでいたのではないかな。

筑後川に着くと、見えた国鉄の遺構「筑後川昇開橋(旧筑後川橋梁)」列車通過時以外は船舶を優先させ常に上がっていたとのこと。現存する日本最古の昇開式可動橋で、重要文化財に登録されている。

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橋の柳川側は駅跡があった。
そして、橋の真ん中まで行ったが可動橋が故障しているため動かないとのこと。止む無く引き換えす。

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大回りして橋を渡り、川の対岸佐賀市へ。

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佐賀市側は佐賀線跡の保存状況が良く、廃線跡をサイクリングロードにして市街地まで繋いでいる。
非常に気持ちいい。

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諸富駅は体育館になっており残っていなかったが、光法駅はホームが残っていて感激。

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少し走り南佐賀駅も同じく。
だが駅舎(トイレ)は後から作られたものみたい。だが時刻表などが有り当時の間隔がよく解る。

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南佐賀駅でサイクリングロードは終わり、東佐賀駅は跡もよく解らない状況。
地図を見ながら恐らく線路跡だったであろう付近の道を走り長崎本線の高架とクロスする場所でもう一つ遺構を発見。
佐賀駅を出発した電車が長崎本線と並走し、分岐した場所の跡を見つける。

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そして佐賀駅へ。17時。
営業で良く来る場所なのであんまりいい気分ではないがゴール。
ホームで旧佐賀線のホームを発見。

DSC_0091.jpg

嫁と18時に博多駅で待ち合わせしているので特急で帰る。

今回は走行距離は20キロ程だが佐賀線跡の遺構を辿るというテーマを決めて走ったので非常に満足いくものになった。各遺構跡には昔の写真があったりとイメージも湧きやすい。

義母は大川出身で、佐賀線に乗っていたよと前に仰られていた。
モータリゼーションの影響で、自家用車を持つ家庭が急増した時代に、運搬能力の低い地方路線は本数の縮小から廃止の一途を辿った。

いま乗っているローカル電車もいつか廃線になり懐かしむようになるのかと思うと不思議な気分になった。
そんな一日。





●本日の走行ルート
佐賀線
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  • Date : 2012-06-30 (Sat)
  • Category : 自転車
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